メンタル病んでるわー。似たような理学療法士いないかな。
数年前にメンタルを病んで退職、というか実質クビになりました。その後、2ヵ月間のニート生活を経てから再就職しました。今となっては完全に笑い話です。
内容がちょっと特殊、というか拗らせてしまった男の結末です。しょーもない話ですが、お付き合いいただけたら幸いです。ちょっと長いです。
はじめに
数年前に職場でひと悶着あり退職、というか実質クビになりました。詳細は割愛しますが、大まかな流れは「職場の環境をなんとか良くしたいと試みる→失敗→業を煮やして社内イベントに参加しなかった→医師夫婦の反感を買う→メンタルを病む→退職(実質クビ)→2ヵ月間のニート生活→再就職」とまあこんな感じです。
要は拗らせてしまい、収拾がつかなくなったわけです。今回は退職前後の心境や行動などを中心にまとめてみました。多少ひねくれた表現もありますがご容赦ください。
退職前の心境や行動
日本の法律上、経営者とはいえ安易に社員をクビにはできません。不当解雇になる可能性があるため相手側も慎重です。例によって言葉や態度でなんとなく圧力をかけてきます。こちらも察するし、どうにも面倒くさいので退職届を提出しました。
退職日はおよそ1ヵ月後。退職届を提出してからというもの、爆速で月日が流れていきます。直ちに新たな就職先を探す気力なんてありません。いっそのこと独立するか、でもそんなリスクを負う勇気も気力もない。理学療法士なんて辞めてしまおうかとさえ考えていました。
そんなこんなで毎日が悶々とした日々、不安定な精神状態だったので夜も眠れません。しかし一方で、日中は妙に覚醒しており、患者さん相手にやたらとハイテンションで喋っていた記憶があります。いわゆる、躁うつ状態でしょうか。
預金がほとんどなかったこと、職場にはなんとか通える距離だったこともあり、とりあえずアパートを解約して実家に避難させてもらいました。両親は呆れてものも言えないといった状況です。いい歳した大人が何やってるんだと。
先々のことを考えると頭の中がグウァングウァンするし、吐き気を催すし、情けないやら悲しいやらで泣いてしまうこともありました。患者さんを診ているときはハイテンションだったとはいえ、むしろ余計なことを考えずに済むので、ある意味で精神安定剤になっていたようにも思います。
最低限の引継ぎを行い、少ない有給休暇を消化して職場とはさようならです。なお、退職前には会社内だけでなく様々な公的手続きが必要となります。とくに次の就職先が決まっていない場合、事前にやることが多くて大変でした。しっかり覚えていないのですが、とりあえず「退職の流れと必要書類等の各種手続きについて~チェックリスト付き~」をご参照ください。わからなければ最寄りのハローワークに問い合わせましょう。
退職直後の心境や行動
退職すれば少しはスッキリするかと思いきや、まったくそんなことはありません。「あーこれからどうしよう」と落ち着くことができません。追い打ちをかけるように、というか私が悪いだけですが、預金があまりありませんでした。そもそも預金なんて、保険やら税金であっという間に消えていきます。申請すれば失業給付金が出ますが、もともと少ない給料なのであってないようなものです。
ニート期間中の心境や行動
鬱気質の方ならわかるかもしれませんが、朝がものすごく辛いです。
「また朝が来た」
こんな感じ。初夏だったこともあり、早朝から太陽の光が差し込んできましたが、これがとにかく辛かった。布団から起き上がろうにも、重くて身体が動かない感覚に襲われたこともありました。
それでもなんとか起きあがり、母親が用意してくれた朝食をいただきます。当時、両親はまだ現役でした。
「還暦近い両親がまだ働いているのに、いい歳して俺は何をやってるんだ」
とにかく自分を責める日々で、複雑な感情が押し寄せてきます。「働かなければ生活できない→でも心がついていかない→不安」の繰り返し。失業給付金があっても、預金はみるみるうちに目減りしていきます。
「生きるためにはお金が必要で、そのために働いている」という考えは好きではありませんが、結局一番の不安要素はお金がなくなることでした。お金がなくなる不安がさらに精神状態を悪化にさせ、何をするにも億劫になります。
とはいえ、完全に閉じこもってしまってはいよいよ抜け出せなくなる。そう思った私は、とりあえず生活リズムだけは大きく乱さないように心掛けました。
朝はちゃんと起きてご飯を食べる、日中はできるだけジムなどで汗を流す、外の空気を感じる、夜更かしをしない、ハローワークに通うなど。うつ状態だったのは確実ですが、こうやって意識的に動けるぶん、末期ではなかったのでしょう。
昼間からお酒も飲みました。海に行って焼いたりもしました。週末はできるだけ人と会いました。趣味の登山やプチ旅行にも行きました。一人行動のほうが多かったですが、友人たちにも随分と救われました。
とはいえ、まだまだ心の底から楽しめるほどの精神的な余裕はありません。 「なんでこんなことに、なんで俺は、なんでダメなんだ」など、不安や自責の念に駆られつつも、自分なりに糸口を見つけて乗り越えようとする日々。心が行ったり来たりと忙しく、超絶不安定です。それでもできるだけニート生活を満喫するように心掛けていました。現実逃避も大切です。
再就職に向けて
重い足取りでハローワークに通ったり、憂鬱になりながらもスマホで検索したりする日は続きます。結局PTOTSTワーカーで探して現在のところに就職しました。
当時、医師(というか経営者)が心底嫌いになっていた私は、いっそのこと理学療法士なんて辞めてしまおうと思い、理学療法士以外の求人を探したりしましたが、そう都合の良い仕事なんてありません。というか良くも悪くも専門職として過ごしてきたため、理学療法士以外の能力を持ち合わせていません。さらに元来の性格上、一般社会に対応できるような人間でもありません。
結局、理学療法士の道しかありませんでした。
整形外科となると個人医院(クリニック)が思い浮かびますが、医師との距離が近すぎてうまくいかなくなることが目に見えていました。それならば病院はどうかというと、そもそも求人がありません。
これまでずっと整形外科専門で、それなりに誇りをもって働いてきたので、今さら畑違いの分野に行くのはものすごく抵抗がありました。しかし、間もなくニート生活も2ヵ月が過ぎようとしています。いよいよ背に腹が代えられなくなってきました。
残るは介護分野しかありませんでしたが、ぶっちゃけ当時の自分は介護分野を見下していました(ごめんなさい)。新卒採用のときも「絶対に介護分野はイヤ、絶対に整形外科だ」と思っていたくらいです。しかし結局、葛藤やもやもやを抱えたまま介護老人保健施設の面接を迎え、採用してもらえることになりました。
再就職時の心境や行動
ニート生活はちょうど2ヵ月。完全とは言えないものの体調はかなり改善しており、さらにお金が無くなる不安からも解放されると思うと精神的に楽になります。
介護老人保健施設にも医師はいますが、直接的な関わりはかなり少ないです。また個人医院のように少数精鋭ではないため、良くも悪くも個々の色が目立たなくて済みます。そういった意味でも、精神的にはかなり楽です。
とはいえ当初からやりたくなかった介護分野、しかも未経験です。いわゆる「整形外科の考え方」で凝り固まっていた私は、「介護分野の考え方」にシフトするのに四苦八苦したのは言うまでもありません。大ベテランの直属の上司にはかなり絞られました。イラッとすることも多々ありましたが、学ぶことも多かったのは事実です。
おわりに
書き終えて改めて思いますが、いい歳した男が何とも情けなかったなと感じる次第です。もっとうまく立ち回っていればこういう結果にはならなかったのでしょう。
関係者にはたくさん迷惑をかけたし、振り回してしまったのは事実。もちろん反省はしていますが、今となっては笑い話です。前向きに考えれば「自ら行動した結果、失敗した」とも言えます。
何事も経験、失敗してからようやく学ぶのでしょう。失敗したときは辛いですが、メンタルさえ持ち直せば、いくらでもやり直すことは可能です。さらになんだかんだ理学療法士は国家資格なので、選り好みさえしなければ就職先に困ることもありません。これは大きな武器です。
余談ですが、記事を書いている現在はすっかり癒えており「仕事は適度に、趣味はガッチリ」と過ごしています。あと介護老人保健施設から訪問看護ステーションに異動しています。
そしてこれも発見なのですが、どうやら内勤よりも外勤のほうが自分に合っているようです。もともとじっとしていられないタイプなので、四季を感じつつドライブ感覚でご自宅に訪問できるのはわりと楽しいものです。
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