理学療法士になって辛かったこと【トップ3】

理学療法士

理学療法士になって辛かったことがあれば、参考までに聞いてみたい。

「結局はコミュ力が大切だと知った実習」「半ば強制的な勉強会」「結果が出せなかったとき」です。なんてことのない理学療法士の独り言ですが、最後までお付き合いいただけたら幸いです。

はじめに

異動や転職を含めると、整形外科病院→クリニック→個人医院→老人保健施設→訪問看護ステーションを経験してきました。今回は、今のところ感じている「理学療法士になって辛かったこと」について考えてみました。

結局はコミュ力が大切だと知った実習

結局大切なのは「コミュニケーション能力」です。これは断言できます。はっきり言って勉強ばかりできても話になりません。今でこそかなり改善していますが、当時のわたしはコミュニケーション能力がかなり低かったです。

当時は決して良くない頭で勉強だけは頑張っていました。教科書を読んで、授業を聞いて、試験勉強をして、良い点数を取ることに全力を注いでいました。

その甲斐もあり、学校での成績はそれなりに良かったです。再試験を受けることはまずありませんでした。学校側から見たら優秀な人間に見えたと思います。わたしも優秀に見られるようにしていました。

成績が良かったこともありちょっとハードな実習地に行くことになったのですが、悲劇はそこで起きました。コミュニケーション能力が絶望的にない。化けの皮が剥がれた瞬間です。指導者やスタッフはおろか、患者とも碌にコミュニケーションが取れないという大事故を招きました。

今だったら指導者の気持ちがわかります。「うわ、とんでもないやつ来たな」って。お情けで実習自体は落ちずに済みましたが、トラウマになったのは言うまでもありません。

もう一度言いますが、大切なのはコミュニケーション能力です。コミュニケーションが苦手な方は、たくさん遊んで慣れましょう。「よく学び、よく遊び、たくさん経験して、たくさん失敗する」ことが、コミュニケーション能力を高める唯一の方法だと感じています。

半ば強制的な勉強会

新卒で整形外科病院に就職したのですが、毎週のように勉強会があって辛かった思い出があります。もともと整形外科がやりたかったので後悔はありませんが、それでも仕事と勉強会に明け暮れる生活は大変でした。

一生懸命な病院は週一回くらいのペースで勉強会があったり、仕事後に残って自主勉強をやっているところも多いでしょう。めちゃめちゃ勉強になったし、それが現在の私の根幹になっているのは事実ですが、いやはや当時はよくやっていたなと思います。

残業代が出るわけでもなく、プライベートな時間を削ってやるわけです。勉強会の担当ともなれば、資料を作成する時間と手間が必要になります。

良くも悪くもある程度の強制力があったからこそ続けられたのかもしれませんが、じゃあ今から同じことをやれと言われたら断ります。月一回くらいなら参加してもいいかなって感じです。

結果が出せなかったとき

当時、膝蓋骨骨折で保存療法が適用となった患者を担当しました。骨折部の安定のため、二―ブレースで3週間ほど固定していたと記憶しています。

リハビリテーションでは骨折部の状態に応じて関節可動域の確保が最優先されます。でもね、全然曲がらなかったんです。原因は膝蓋上嚢内の癒着、いわゆる拘縮です。癒着は2週間前後で強くなってくることは知っていましたが想像以上でした。骨折による出血もあり、それが膝蓋上嚢内に貯留したまま固定されていたのがかなり影響していました。

最初は一人で対応していましたが、一向に改善しません。途中から先輩と診ることになったのですが、それでも主担当は私なので責任をもって一生懸命に取り組みました。しかし、それでも改善しませんでした。

結局、患者からの強い要望もあり先輩が代わってくれることになりました。泣きました。泣きたいのは患者のほうでしょうが、わたしも泣きました。先輩に代わってから順調に改善していき、最終的には正座も獲得できました。わたしは深く反省をするとともに、膝蓋骨骨折がトラウマになりました。

結果が出せないときって誰しもが経験すると思いますが、やっぱり辛いものがあります。悔しさや悲しさ、患者への申し訳なさなどが込み上げてきます。ただ改めて今思うのは、あまり卑屈にならず、現状をしっかりと受け止めて次に繋げることが大切です。

おわりに

理学療法士になって辛かったことは「結局はコミュ力が大切だと知った実習」「半ば強制的な勉強会」「結果が出せなかったとき」です。辛いことって誰でも経験すると思いますが、それでも理学療法士はなかなか楽しいですよ。

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